学生時代に考えていたこと
もともと国語が苦手で物理が得意だった高校時代の私は、大学は理系に進学することに決めていました。高校3年生の冬、第1志望の大学には受かることが出来ず(当時の大学入試センター試験で国語でかなり足を引っ張りました・・・)、1年間の浪人生活を経て、大阪の某大学の工学部に入学しました。相変わらず、英語や第二外国語などといった語学には全く興味が持てず、授業も適度に出てサークルやアルバイト等をしながら大学生活を送りました。「工学部に入ったからには社会人になったら、どこかの大手メーカーに就職するんだろうな」なんて思っていました。大学3年生のとき、周りは8~9割が同大学の大学院に進学する状況であり、高校時代の先生からも「大学院まで行かないとメーカー就職には不利」という言葉が脳裏に焼き付いていたため、私も大学院に進学すると決め、特に就職活動はしませんでした。(もちろん、大学院入学試験(通称、院試)はありましたので、大学4年生の夏は、しっかり勉強しました。)
同大学の大学院進学後の1年生の夏、同じ研究室のメンバーが、「インターンシップに行く」と言ったため、「インターンシップって何?」と思いながら(当時はインターンシップという名の就業体験が出始めた頃でした)、就職サイトで興味のあった業界を検索したところ、1週間程度でその会社の概要が把握でき、かついろいろな体験ができるカリキュラムが組まれている会社を見つけました。(それが現在勤めている会社です。以下「今の会社」と呼ぶこととします。) 軽い気持ちで今の会社のインターンシップに応募したところ、採用担当から電話がかかってきて、東京まで面接に行き、あっさりと参加の資格をいただきました。
頭の中には「研究」「論文」「メーカー就職」といったキーワードしかなかった私にとって、今の会社のインターンシップ経験は、非常に刺激的かつ魅力的であり、視野が大きく広がりました。私が通っていた大学院では、「就職=大学推薦」が9割を占め、「就活するなら、研究しろ(論文書け)」といった風潮がごくごく当たり前であり、就職活動をすること自体、引け目を感じていましたが、「今後何十年も過ごしていく世界(仕事)を大学推薦のみで決めたくない!」という思いから、同年の秋以降、研究には支障が出ない程度に就職セミナー等に積極的に参加し、業界にこだわることなく、様々な社会人の皆様の話を聞きました。
今の会社を選んだ理由
「自分は何をしたいのか」を突き詰めて考えていった際、私は、「多くの人の役に立ち、理系の強みを活かしながらお客様視点で仕事が出来る仕事がしたい」という結論にたどりつき、主に今の会社の業界を中心にエントリーをし、選考試験を受けてきました。その後、何社か内定をいただきましたが、今の会社のインターンシップの魅力が忘れられず、今の会社から内定をいただいた際には、すぐに他の会社を丁重にお断りしました。当時の私にとって、今の会社の魅力は、働いている社員の皆様が活き活きとしていたこと、教育制度が充実しており現場経験をさせてもらえること、そして何より給料や福利厚生といった待遇面がダントツに良かったことでした。
現場経験、オフィスワークを経て管理者に
今の会社に入社後、長期に渡る現場経験をさせていただき、今の会社の業界の基礎を存分に学ばせていただきました。ここで学んだ知識や技術は、以後の業務や同業他社との情報交換に活かすこととなります。
その後、現場から離れ、オフィスワーク業務をすることになりますが、そこで問題上司と遭遇してしまい、一時期は転職も考えましたが、「ここで会社を辞めると、これまでの努力も水の泡。こんな奴のために自分の人生を棒に振りたくない!」という意志のもと、何とか歯を食いしばって耐えました。その後、ジョブローテーション制度のおかげで当該上司とは離れることができ、新たな部署、新たな上司のもと、新鮮な気持ちで、一から仕事をすることが出来ました。そこでは、オフィスワークをする際の心構えから、上司との接し方、仕事の進め方まで、面白おかしくレクチャーをしてくれる上司と巡り合い、私の仕事スキルが格段にアップしました。現在の私がいるもの、その上司のおかげであり、今でも感謝しています。
その後、引越しを伴う異動となり、現場管理者として初めて部下を持つ立場となりました。私にとって初めての土地、職場であり、その現場にとっても大卒管理者が着任するのは初めてであり、お互い初めてづくしの状態で始めはギクシャクしましたが、徐々にコミュニケーションをとっていき、部下をコントロールしていくことの大変さを学ぶと同時に、部下が成長していくのを近くで見ることで、やりがいを感じることが出来ました。
屋台骨となる大プロジェクトを完遂!
上述の現場管理者の後、オフィスワークに戻り、そこで新たな優秀な部下を持つことになりますが、部下の能力を最大限に発揮しつつ、かつ私の特技(プログラミング)を活用することで、担当していた業務の効率化を大きく推進することが出来ました。ここで、何種類か作りこんだプログラムスキルが、後述の大プロジェクトに向けての検証ツール作成の一助になります。
その後異動となり、会社の屋台骨となる商品の大プロジェクトを担当することになりました。現行の設備では新商品の提供は実現不可能であったため、それらの設備改良案を数十種類検討し、各改良案についてシミュレーションし、改良規模及びコスト面で有望な案を複数までに絞り込みました。それらの案を他の部署に提示し、半年間議論を重ねましたが、過去に例のないこともあり、全く前に進みませんでした。しかし、同業他社の取り組み事例を独自で調査し、参考となる事例については同業他社にお願いし見学会を設定したことや、ビッグデータである現場のデータの解析ソフトを作成し、現状の商品の問題点を可視化した資料を提示することにより各部署を再度説得した結果、次第に協力が得られるようになりました。その後約半年間かけて、限られた期間で設備改良し、低コストで実現可能な案を絞りこみ、最終的には当初の要件を満たした最適な改良案で合意が得られ、社内の会議で承認を得ることができました。そしていよいよその商品は世に出回り、私が考えた内容の効果が出ているかを現地で確認しましたところ、これまでの課題は解消された上、シミュレーション通りの挙動となっていることを確認しました。
このプロジェクトを通して、数多くの困難はあったものの、最終的には、自分が思い描いたシナリオ通りに業務を進め、商品がシミュレーション通りの挙動を確認したときの嬉しさはこの上なく、大きな誇りと達成感を得ることが出来ました。また、一部ではありますが、自ら考え行動し、業務推進力の高い優秀な社員に触れ、考え方も含め学び取ることが出来ました。改めて振り返ってみると、様々な部署にて多岐に渡る業務経験を通して、会社全体としてどうあるべきかを考える視点を身につけることが、今の会社のジョブローテーションの意義だということを実感出来ました。
会社の悪い面が目立って見えるように・・・
大プロジェクト完遂後、今の会社の本業とは異なった畑違いの職場に異動になりました。私はAという系統で採用されたにも関わらず、Bという系統がメインで所属する職場に配属されたのです。これも滅多にない人事ですが、私にとっては、良い意味でも悪い意味でも今の会社の人材面での問題点の全てを知ることになります。
その職場には、今まで経験してきた部署よりも、
- 自分の領域(担当業務、部署)のことしか考えない
- 言われたことしか実施しない、トップダウンでしか動かない
- お客様よりも上司の顔色を伺うことにエネルギーを費やす(能力が高い社員でもヒラメ社員としての業務遂行が大半)
- お客様視点に欠ける
- お客様のおかげで飯が食えているということが分かっていない
- 他部署との連携力、コミュニケーション能力に欠ける(話そうとしない)
- 会社施策(本業)を知らない、ジョブローテーションの意義を理解していない
- 外の世界を知らない(井の中の蛙が、狭い組織で威張っている状況が散見)
といった人が高い割合で存在し、大規模かつ縦割り組織の問題の典型と言ってよいほどでした。
本当にこのままで良いのか・・・
入社当初から、自分の中で考えていたジョブローテーションの意義、会社での成長の意義について、これまでいくつかの疑問を感じることもありましたが、何度も、組織(会社)のため、自分のために意義のあるものだ自分に言い聞かせてきました。しかし、この職場にてこれらの社員等を見てきて、これまでの自分の会社における仕事の意義が根底から覆されました。ある意味、自分の幻想であったことが可視化されたのです。
この職場は今まで経験してきた部署とは大きく異なり、何度思い出しても腹立たしいですが、ポジティブに捉えると、会社全体から見た職場や組織の在り方から人材について客観視することができ、自身の今後のキャリアを見つめなおすことが出来ました。
ここで悶々としていた矢先、新型コロナ禍になりました。コロナ禍により会社の売上は激減しましたが、今の会社は当時もそして現在も新たなプロジェクトを進めています。新たなプロジェクトを推進するのは良いことだと思いますが、このような組織がある以上、将来に渡りこの困難を乗り切ることは厳しいと考えております。熱意を持って会社に貢献し、安心して会社人生を送ることは出来ないと判断し、私は次の行動に移すことにしました。
※次「転職か副業か」へ続く。